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【Mt.Radio】日本百名山とは?意外と知られていない事実 – Part.8

日本百名山の小説

一人の小説家が、趣味の登山をして、独自の基準で選んだ山の紀行文「日本百名山」。つまり、「日本百名山」というタイトルのエッセイ本なのです。

日本百名山は国や山岳関係の団体が発表したものではないのです。

とある日本百名山の一座に登って、「日本百名山 〇〇山 標高XXXXm」と書かれている山頂看板を目にします。正確に言えば、エッセイのタイトルが書かれているのです。「もものかんづめ」、「深夜特急」と書かれているのと同じことになるのです。

冷静に考えると「え、そういうものなの?」と思いますよね。エッセイ本のタイトルが、ここまで登山に浸透しているのか不思議です。

紀行文の『日本百名山』が、日本百名山になった訳

日本百名山が出版された1964年

Mount Shiomi in Japan

この「日本百名山」は、日本全体が沸き立つ東京オリンピック開催の年、1964年に出版されました。

イギリス出身のビートルズがアメリカに進出し、「She Loves You」「抱きしめたい」の曲で、世界を席巻したのがこの頃。 日本の山岳史という壮大な歴史のくくりで見ると、「日本百名山」が生まれたのはごくごく最近のことです。

登山ブームが後押しして大ヒット

近年ことのほか登山が盛んになって、登山ブームなどと言われてるが、それは一時に起こった流行ではない

『日本百名山』後記より

戦後の好景気に沸き立ち、 高度経済成長の波にのって、戦後最初の登山ブームが到来したのがこの時期です。 「日本百名山」は祭り上げられ、バイブル的な存在に昇華。百名山ブームを起こし、今現在でも日本全国各地の巡るべき山の標準、ブランドになっています。

「日本百名山」というエッセイは一人歩きし、個人が選別した非公式でありながら登山をする者の公式へと変化していきました。「日本名勝〇選」「日本三大〇〇」など、肩書き大好き日本人にハマったと言えます。

日本百名山は批判もあった

「日本百名山」は批判を受けたらしい。

日本百名山の人気に対して、登山道の整備や施設が追い付いていませんでした。「日本百名山」に看過された登山者が押しかけ、自然が荒らされる結果となったようです。60年代は環境に対する意識があまりなかった時代です。 今でも、山歩いていると相当古いデザインの空き缶見つかりますし、 ポイ捨てやたばこ、排ガスなど相当酷かったのでしょう。75年まで上高地はマイカーで乗り入れが可能だった時代ですから、今では考えられません。

私の選定には異論もあろう。珠に人は自分の良く知っている山を推して名山とするが、私は多くの山を比較検討した上で決めた。もちろん私の眼は神の如く公平ではない。私に自信を持たせてくれたのは、五十年に近い私の登山歴である。

『日本百名山』後記より

また、著書は山岳会に入っていたとは言え、本業は小説家(エッセイストではないのがややこしい)。

山を極めた人は他にもたくさんおり、その人達から見れば、選出されて定着してしまったことは良く思っていないはずです。「所詮は個人が決めた100個の山」という背景から、アンチが一定数いるようです。

現代で例えると、インフルエンサー的な存在で、たくさんのフォロワーや信者(言い方悪いが)を生んだって感じです。グルメ系のインフルエンサーが、全国のラーメンベスト100を紹介して、田舎にあった素朴な店が全国からお客で連日のように混雑。そんな感じなのでしょう。

自分がたくさんの百名山を登ってみると、「この山は百名山じゃないだろう」「この山は入れるべきだろう」と考えたりします。著者自身も後年に「この山を入れるべきだった」と思うようなことがあったとか。日本百名山は完璧な選別ではなく、議論を呼ぶのもムーブメントの一つだったのかも知れません。

日本二百名山と日本三百名山の勘違い

筆者の没後に日本百名山に付け足す形で、日本二百名山日本三百名山が生まれました。百名山の著書は関わっていません。

#名称選定者選定時期
1日本百名山深田久弥1964
2日本三百名山 日本山岳会1978
3日本二百名山 深田クラブ1984

よく勘違いしている人がいますが、二百の後に三百が選ばれたというわけではなく、三百の中から二百が選ばれています。三百は日本山岳会が選定していますが、二百は「深田クラブ」というファン組織が選定したものです。

日本二百名山と三百名山のややこしい図

三百はあくまで百を含んでの三百です。しかし、そこから選ばれた二百は同人誌のような感じです。百にも三百にもない山を1個プラス(新潟県の荒沢岳あらさわだけ)するあたりも軸がブレています。

日本百名山に入れるべきだったとされる北アルプスの燕岳つばくろだけは日本二百名山になっているけど、厳密にいえば日本三百名山でもある。

個人的には日本二百名山の存在はちょっと疑問がある。

「日本二百名山」はクラブ10周年で作られました。クラブ設立の10周年ですよ。「深田クラブ」を名乗るなら「没後ン年」のような大義なら何となくわかるのです…。日本二百名山もこんなに定着するとは思ってなかったのでしょう…。組織規模で考えると日本三百名山が標準とすべきかもしれない。

深田久弥という人物について

小説家としての経歴と登山にかけた人生

「日本百名山」の著書、深田久弥ふかだきゅうやという人物について紹介しておこうと思います。

石川県に生まれ、現在の東京大学の文学部に入学。大学を中退し、小説家一本の道を選び、川端康成などが在籍する同人の編集に名を連ねました。趣味の登山で、紀行文「日本百名山」をまとめた偉人です。現在は石川県加賀市の名誉市民になっています。

日本百名山の登頂は今でこそ、1年で完遂してしまう人がいますが、20年代~60年代は段違いに難易度が高かったはずです。登山口に続く道路は未整備、地元の猟師ガイドを雇っていたそうです。

日本百名山屈指の秘境である平ヶ岳ひらがたけ

越後側から入山するのに移動と登山で五日を要したと書かれています。今だと、前泊して日帰り、公共交通機関でも3日で東京から登れます。

交通機関、登山道が未整備な時代で、全国の山を巡った先駆者と言えます。

プライベートは破綻していた人物

しかし、公正明大な人物ではなかったようで、昭和の文豪にありがちな屑エピソードを持っています。

なかなかにヤバいエピソード集
  • 編集者の仕事をしていた時、投稿者の女性の家に出向き、親の反対を押し切って同棲・結婚
  • 難病を患って寝たきりの妻に小説を書かせ、自分の名義で発表
  • 自分で書いた作品は駄作に終わり、盗作まがいのことをして、怒られる
  • 難病の初恋相手に似ていた妻を見捨て、初恋相手の不倫・子供を作る

中々にエグいスキャンダルを持っています。太宰治や石川啄木に並ぶクズっぷりではないでしょうか。

小説家と紹介していますが、小説家としての評価は二流・三流で、評価されたのはゴーストライターの妻が書いた小説です。不倫した後に、元妻にばらされ、深田久弥は小説家としての権威を失墜しています。10年に及ぶ隠遁生活で、山に登り、「日本百名山」が生まれました。

もし、著書が家庭を大事にする愛妻家だったりしたら、「日本百名山」は生まれていなかったかもしれません。

日本百名山は公式っぽくなってる非公式

日本百名山のページ

著者は1971年に山梨県の茅ヶ岳かやがたけという山で登山中に脳卒中で亡くなっています。「日本百名山」発表から7年後です。半世紀後も日本百名山が残り続け、完登を目指す人がいるとは、思ってもみなかったのではないでしょうか。

また、日本百名山という一冊の本が生んだ経済効果は、相当な額になるんじゃないだろうかと思います。日本百名山の人気は今でもすさまじいものがあり、たくさんの登山者が訪れています。計ることは出来ませんが、数十億~数百億になるかもしれません。

日本百名山は、今後半世紀以上は残っていくのではないでしょうか。

私は登山を始めた頃、3年くらいは「日本百名山」をたくさん登ることで、良い山を知ることができると思っていたし、登頂数を増やしていくのは気分が良かったです。「南アルプスの鳳凰三山ほうおうさんざんを33座目に登ったぜ!!!」みたいなことを当時は言ってました。年を追うごとに名山にこだわらない登り方に変化し、自分が今何座登っているのかは数えないと言えません。ブログ上では百名山を使った方が対外受けがいいので、そうしています。

よく日本百名山を目指す人が、「日本百名山を登り切ったら、俺の百名山を作る」と発言しているのを見かけます。発信力と影響力を兼ね備え、批判に立ち向かえるなら人物がいるなら、 次の新しい百名山が生まれるかも知れません。

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