2014年11月23日
奈良県の大峰山に行ってきました。最高峰は八経ヶ岳で、標高は1914mです。
大峰山は紀伊半島の南北に伸びる大峰山脈であり、大峰山と名前の山は存在しません。単一の山で捉えると山上ヶ岳(さんじょうがたけ)を指すようです。
紀伊山地の霊場と参詣道として、大峰山も世界遺産に認定されています。
関西遠征2日目。
日本百名山の一角である山上ヶ岳と近畿地方最高峰である八経ヶ岳のシーソーゲームは、後者に傾き目指すことになりました。
初日のプランは事前に組んでいましたが、2日目以降は下調べなしの出たとこ勝負でしたが、想定を超える旅になりました。
大峰山(八経ヶ岳) について
地図
八経ヶ岳の最短ルートをピストンしました。
大峰奥駆道に沿って、支流のように登山道が枝分かれしているのが大峰山脈の特徴です。
コースタイム
- 10:33トンネル西口
- 11:20奥駈道出合
- 12:52弥山
- 13:19〜14:11八経ヶ岳
- 16:19トンネル西口
大峰山 日帰り登山
奈良の市街地を抜けて、紀伊半島の秘境へ
東大阪のどこかのPAで目が覚めました。
1日目の行程があまりにもタイトかつ肉体的に限界を迎え、寝る場所を確保する暇もなくお互いに眠り(昏睡)についたのです。
早朝6時に起床し、奈良に向けて再出発です。
南阪奈道路という初めて走る高速道路から見る日の出。
京都から奈良は電車ですぐのイメージがあったのですが、車でくると結構時間がかかった気がしました。途中の記憶があんまりないんですけど。
武奈ヶ岳の後に温泉には入っていましたが、京都散策の後には入っていなかったので、インター近くにたまたま発見した早朝営業のスーパー銭湯には本当に救われました。
風呂で体力を回復、目を覚まし、なか卯で食事にしました。
奈良っぽい食べ物を探しては見たが、国道沿いに都合のよい店はありませんでした。
自分でも知っている吉野あたりをさらに南下していくと、登山でもしない限り、絶対訪れることがないんじゃないかと思うような山道になります。
ルート的には国道309号線をひたすら真っすぐに進みます。
紀伊半島の国道は国道と思わない方が良いという意味がよく分かった気がします。
車幅一台分と道幅は狭く、ガードレールすらない絶壁な「酷道」でした。
みたらい渓谷など景勝地があり、車を停めて紀伊半島の秘境感を味わいたかったが、すでに9時過ぎと言うこともあり先を急ぎます。
行者還トンネルの登山口から大峰奥駈道へ
10時30分 登山口駐車場
行者還トンネルの手前に八経ヶ岳の駐車場があります。
「ほんと、こんなところに登山口なんてあるのかよ?」と不安になってきたころに出てきます。
ちなみに駐車場は有料でしたが、若干下がった下のスペースは無料でした。
プレハブ小屋の管理棟に管理人が二人ほどいて、簡易トイレが設置されていました。有料100円だったかな?
大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は吉野から熊野に続く、全長100キロを超える縦走路。古来より修験の場として歩かれていた道です。
ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として、2004年に選定されています。
全長100キロとか歩ける気がしないが、やり抜いたら人間として一肌剥けられるのかもしれない。
10時33分 登山開始
看板に記載されているように弥山(みせん)が重要な山頂と言うことが分かります。八経ヶ岳はあくまで、最高峰と言うだけなのです。
近畿最高峰だと言い、八経ヶ岳を選んだ俗世的な自分たちでは修験に身を置くのもおこがましいということか。
登山口の標高が1094mもあるため、紅葉はなく冬枯れの様相でした。
沢はすっかり枯れていて、吊り橋が無意味な存在になっていました。
スタートが10時半と言うこともあり、序盤で下山してくる登山者とすれ違うのですが「山頂はガスってて何も見えなかった」と残念な情報を伝えられる。
「遅れて山頂に立つ、自分たちだけは!!!」というプラス思考で、勾配がキツイ尾根道を登ります。
冬枯れの樹林帯は展望が良いと言うメリットがありますが、紀伊半島の山々はフラットであり、とりわけ目立つ山がない…。
単調な尾根道を登り続けているとやがて勾配は緩やかに変化していきます。
信仰の歴史を感じる大峯奥駈道の稜線歩き
11時20分 大峯奥駈道
登山口から50分歩いたころに大峯奥駈道と合流します。これでようやく世界遺産のトレッキングができます。
世界遺産マネーなのか表示されている看板は新しく綺麗でした。
大峰山のメインとも呼べる山上ヶ岳の表示がされていますが、コースタイム10時間以上なので容易ではない。
弥山方面へと向かいます。
丸太のベンチ?が設置されていて、親切な設計。
稜線歩きとなるので、しばらくは緩やかなアップダウンが繰り返されます。
アルプスや東北のような非日常にはない自然観はないですが、奥ゆかしい山歩きをしているという実感があります。
風が多少あり、防寒着を一枚着て歩きます。
葉がない分、風の通り方もストレートです。
新緑の時期に歩くと緑が濃くて気持ちよくなりそう。
紀伊半島は多雨地域なので、梅雨入り前の5月中旬ごろが狙い目なのだろうか…。
「石休ノ宿跡」
修験道としての最盛期がいつだったのかはわかりませんが、多くの史跡がルート上に
点在しています。
日本の歴史は西から始まったので、1000年以上前は富士山に次ぐ高峰は大峰山と言う認識だったらしい。
八経ヶ岳より北部の山々。
妙に尖がっている山がありますが、山上ヶ岳なのか、それとも関西のマッターホルンという高見山なのか…。勉強不足であります。
稜線の中盤に苔むしている場所がありました。
夏場は葉に太陽の光が遮られ、陰になっているんでしょうか。
これと言ってどこにでもあるような山の風景ですが、紀伊半島に来ているという実感が特別なものに変化させてくれます。
標高1600mの弁天の森を通過。
修験道と言うこともあり、要所につけられている名前が仏教的です。
これから登る八経が岳と弥山の全体を眺められる場所に出ました。
晴れているではないか…。
稜線上はところどころにテントが張れそうな広場になっているスペースがあります。
理源大師像などの史跡もあります。
平安前期の真言宗の僧。光仁天皇の子孫。名は恒蔭王、諱は聖宝。東大寺に入った後、三論・法相・華厳を学び、興福寺維摩会の講師となった。真言宗を学び、修験道を確立する。醍醐寺・東大寺東南院を開き、顕密二教を教化した。また貞観寺座主、東大寺別当、東寺僧正・長者等を務めた。著書に『持宝金剛次第疏鈔』『胎蔵次第』等がある。延喜9年(909)寂、77才。
像を過ぎると弥山への登りが開始されます。
大峰山より南部の風景が広がります。
奈良県、和歌山県、三重県の紀伊半島南部は、高速道路も鉄道も空路もない秘境です。東京から離島を除いて最も移動時間がかかる十津川村があったりします。
弥山直下は階段が続いていました。
数日前に降雪があったらしく、雪が残っていました。
立派な山小屋もある弥山から八経ヶ岳へ
12時57分 弥山小屋
日帰り登山ができる山で、立派な山小屋だとは思っていませんでした。規模的に八ヶ岳の小屋に匹敵しそうです。
収容人数は200人だそうです。
連休でしたが、小屋締めされていて閑散としていました。
例年ゴールデンウィークから11月下旬まで営業しているらしいです。
弥山の山頂は後で登るとして、とりあえず八経ヶ岳へと進みます。
テント場があり、2,3張ありました。
弥山から八経ヶ岳に向けての斜面は縞枯れ現象の樹林帯がありました。
亜高山帯の針葉樹である、シラビソ、オオシラビソの優占林に限って見られる現象。木々が立ち枯れたり、倒れたりすることにより、遠くから見ると縞状の模様が見られる。
八ヶ岳の縞枯山(しまがれやま)が有名です。
白い樹木が蝋燭のように空に向かって伸びている風景は、墓地のような寂寥感がありながら、繊細な美しさが共存しているように感じました。
ちなみにこの現象が発生するメカニズムは原因不明だとか。
開放的な縞枯れの斜面の奥に大峰山脈最高峰の八経ヶ岳がそびえています。特徴的な見た目はありません。
八経ヶ岳へは一度降りて、登り返しが待っています。
鞍部は落葉樹が生えていて、新緑シーズンに歩くと気持ちよさそうです。
オオヤマレンゲの保全の看板がありました。
オオヤマレンゲはこの大峰山に自生するのが有名な花で、絶滅危惧種にしていされている花だそうです。鹿の食害にあっているため、柵が設置されているようです。
梅雨の時期にひっそりと咲くらしく、豪雨地域でなかなか見るのが難しい花です。
ちなみにこのような花です。白い花びらに真紅の雄しべの花。
八経ヶ岳直下の道は雪がまだ残っており、慎重に登ります。
樹林帯の先に山頂の光が見えてきました。
錫杖が祀られる近畿最高峰の八経ヶ岳の山頂
13時19分 大峰山(八経ヶ岳)山頂
登山口から約2時間45分で到着しました。近畿地方最高峰なので、大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、三重県、滋賀県、和歌山県の2府5県で一番高い場所です。
山頂は岩がゴロゴロと転がっていて、多少広めのスペースがあります。
関西で一番高いところに登る関東民の図。
八経ヶ岳の山頂には錫杖が祀られています。
山頂に武器が一本だけ刺さっている系の山でいうと男体山、高千穂峰に続き三座目。
木が邪魔だったりしますが、展望は全方向にあります。
しかし、周囲の山が全くわかりません。
八経ヶ岳から大峰山脈南部につながる縦走路も縞枯れ現象が見られました。
カップラーメンで食事。
この遠征では山頂飯が非常に質素です。やりたくても食材を買う時間もなければスーパーもない。
八経ヶ岳と言うことで、体で「8」の字を表現して記念撮影。
現場ではナイスアイディアと思っていたが、後で振り返ると発想が非常に陳腐だし、何よりダサいということに気付く。
これが近畿最高峰のテンションか。
武奈ヶ岳で開発した撮り方だったが、今一つコツを掴めていない。
下山を開始。
とりわけ突出して優れた景観を持つ山頂ではないですが、50分も山頂に滞在してしまったのは近畿の魔力か。
時間が時間だったので、単独縦走中が2,3人とパーティー2組くらいしか山頂にやって来ませんでした。
八経ヶ岳を往復し、再び弥山に戻ってきました。
ジロッ!!!
目が動いた気がする!?
14時33分 弥山山頂
弥山山頂は広々としていて、立派な神社がありました。
というわけで、同じ道を引き返します。
夏みたいな雲がふわふわとに浮かび、紀伊半島を漂っています。
下山は同じ道と言うこともあり、何も考えずサクサクと。
16時19分 下山完了
休憩込で5時間46分でした。日帰りとしては、程良い疲労感です。初日の疲労感が抜けきってはいないので、結構疲れました…。
天の川温泉と吉野で食べる焼肉
登山口から1時間ほど車を走らせ、ロマンチックな名前の天川村にある「天の川温泉」にやってきました。
ただし、「てんのかわ」と読むのがフェイク。
天の川温泉:http://www.rurubu.com/season/special/higaeriyu/detail.aspx?SozaiNo=290012
過疎中の過疎村っぽいですが、かつては修験者の宿場町として栄えた面影があります。夏は冷涼な気候と言うこともあり、キャンプ場が至る所にありました。
湯はぬるぬるの美人の湯タイプで、内風呂は高野槙(コウヤマキ)で造られています。露天風呂からは天の川が見えた気がしました?
内装はこの地域の木材が使われているようで、手間と時間がかかっていそうです。
温泉後は3日目の目的地である曽爾高原(そにこうげん)へ向けて、車を走らせる。
途中の吉野で「紅葉ライトアップ行っちゃう?」みたいなプランが挙がったが、Mr.社蓄ことSaku氏の携帯に会社からのコールが鳴りやまずタイムアップ、断念となる。
旅を開始し、食文化の側面に触れず移動ばかりだったので、美味いものが食いたいということになった。そして、その欲求を満たすものは肉!肉!肉!
吉野の市街地から山間部の国道にひっそりと営業している「馬酔木」という焼肉屋を見つける。
この店が安く、多く、新鮮、美味しく、そして煙たいという素晴らしいお店でした。
個人的に理想的な焼肉屋。
牛も豚も鳥も美味しかったですが、カモ肉の焼肉が一番インパクトありました。奈良じゃ珍しくないのかな?
脂がのっているのに全然くどくない感じが気に入りました。
腹が減っていたのと、カップ麺生活の反動からか異常な食欲で肉を焼き続けます。
周りは真っ暗な山の中にこんな素晴らしい焼肉店があるなんて…。奈良はとてもいいところだ。
ぶっちゃけ3日目の予定はこの時点で決まっておらず、「大台ヶ原の日出ヶ岳に日の出を見に行く」もしくは「曽爾高原にススキの群生を見に行く」の2択に決定がなされた。
自分が以前から曽爾高原に興味があったこと、大台ケ原の紅葉は終わってるという点から、後者に決定。
アルコール抜きにしてももりもり食べて2000円代と大変お安かったです。リピート必須。
奈良の山間を走りながら到着したのは、曽爾高原近くの「サンビレッジ曽爾」というオートキャンプ場。到着したのが22時前だった気がするが、管理棟が開いていて受付をしてくれました。普通は17時まで。
自分はテント、Saku氏は車中泊と理解に困る宿泊体制。
初日がPAで意識を失うということに比べると天と地ほど快適さに差があります。滋賀→京都→奈良(南部)→奈良(東部)と移動に無理がありすぎるんだな、これが。
2日目もなんだかんだ23時に就寝しました。
11月下旬の高原の気温は低く、防寒着をふんだんに纏って眠りにつくことができました。
翌日は日の出を見つつ、曽爾高原でススキの群生を見て、倶留尊山を登ります。
大峰山(八経ヶ岳)の登山を終えて
紀伊半島は初めて足を踏み入れた土地でした。
旧時代、霊場としての残滓を見て取りながら歩く不思議な体験は大峰山脈以外にはないと思いました。
登山が大衆化された今では足を運ぶ人が減っていると思いますが、他の山脈のどこにもない魅力が秘められていると思います。
今回は紀伊半島のほんの一端を歩いたに過ぎませんが、再び足を運びたいと強く思いました。
大峯奥駈道のすべてを歩き切る体力も時間もありませんが、霊場である紀伊半島の山々を旅できたらと考えています。
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