お正月で帰省した際に押し入れを整理していたところ、祖父がまとめた登山ノートが見つかりました。昭和32年7月15日から20日、5泊6日の北アルプス縦走記録です。2022年現在から65年前の記録になります。
写真と一筆メモと小屋スタンプの簡単なものですが、当時の登山風景を垣間見ることができました。
65年前のアルプス銀座縦走記録
昭和32年(1957年)はどういう年だったか
登山ノートの1ページには、アルプス銀座縦走の行程が書かれていました。アルプスを縦走したことがある人にはわかると思いますが、健脚向きの縦走コースです。
ちなみに昭和32年、西暦1957年がどういう年だったのか調べてみました。
- 岸信介内閣が成立(元安倍総理の祖父)
- 日本観測隊が南極大陸初上陸
- コカコーラが日本で発売開始
- ソ連が世界初の人工衛星「スプートニク号」の打ち上げ成功
- カラーテレビ実験放送開始
戦後復興が終わり、海外技術を取り入れ、現代の日本の技術が確立され始めた時代です。映画「Always -3丁目の夕日」が1958年が舞台なので、その1年前です。東京タワーはまだ存在しません。
穂高連峰の展望、徳本峠から大滝山の稜線
写真はいきなり徳本峠からスタートしていました。上高地からスタートして、明神館から登ったのでしょう。
格好は上が白い肌着と開襟シャツ、下はダボっとした作業ズボンです。現代でこの格好で歩いている登山がいたら、2度見するし、誰かに「山を舐めるな」と、注意を受けてしまうかも。
祖父はこのノートを登山に持参したようです。下山後に写真を貼るスペースを考慮して、小屋スタンプを押していたようです。マメな性格です。
写真は徳本峠から見える穂高連峰でしょうか。自分はこのルートを歩いたことがなく、想像なので、間違っていたらごめんなさい。
これも穂高連峰かな?
第一展望台とメモされていますが、現在もあるのでしょうか。剱岳みたいに尖った山ですねえ。
場所は少し飛んで大滝山のお花畑です。
スタンプはバラバラに押したのか、燕山荘のものが押してありました。
大滝の朝とメモされているので、小屋で宿泊したようです。今じゃ、大滝山に登ったことがあるって人は聞いたことないな…。
カッパを着ている仲間がいるので、この日は天候が悪かったのかな。
穂高連峰は雲がかかっていたみたいです。
時間が経って、雲が取れて、北アルプスのシンボルである槍ヶ岳が見えて来たみたいです。
大滝山から蝶ヶ岳に向かって進んでいるようです。この辺は樹林帯が多くて、稜線歩きが大変そうです。
これは…もしかして、雷鳥のヒナでしょうか。
この写真を今の時代にウェブアップロードしようものなら、即炎上してしまいそうです。当時も雷鳥を珍しがったのでしょうか。
蝶ヶ岳〜常念岳の稜線に向けての写真です。
常念小屋のスタンプが押してありましたが、常念岳の写真はありませんでした。天気が悪かったのかな?ちなみに、日本百名山は1964年に発表されたので、百名山の概念がまだない時代です。
槍ヶ岳を見ながら大天井岳から燕岳
場所が飛んで東天井岳〜大天井岳の稜線区間です。仲間の後ろ姿と槍ヶ岳、とても良い写真です。
こちらも稜線の斜面を登る仲間達。登山の雰囲気が伝わる写真です。こういう構図は自分もよく撮るので少し嬉しい。
写真が前後して、蝶ヶ岳の瞑想の丘で撮影した集合写真です。ここで初めて9人の大所帯で登っていたことがわかりました。山岳会に入っていたわけではないので、職場の同僚だと思います。
祖父は写真だと、右の黒シャツです。一団との距離が気になる。
父親に聞いた話では、ペンタックスの35mmカメラを持っていたようです。カメラに詳しくないのでわかりませんが、当時としては高価な品だったのだろうか。
東天井岳での休憩の一コマ。5泊の行程に対して、リュックの容量少ない。意外と今より装備が軽かったのかも知れない。
スキャンした写真なのでわかりにくいですが、砂利の質感がくっきり再現されています。
槍ヶ岳をバックに稜線を歩く仲間の写真。
青春時代に大戦を経験した人たちですから、アルプスの縦走なんて苦でもないのかも。
燕山荘のスタンプだけ貼ってありました。
今でこそテントがいっぱい、食事が映える人気の山小屋ですが、昔はどんな感じだったのか気になるなぁ。
縦走も終盤戦、大天井岳から下山する一コマ。
かつての信濃鉄道の有明駅のスタンプが押してありました。「日本アルプス」という表記が使われているので、「北アルプス」は昔は使っていなかったのだろうか。
躍動感のある雲を稜線が堰き止めている写真です。大天井岳から燕岳は、ポピュラーな稜線ですが、自分はまだ歩いたことがない…。
大天井岳〜燕岳の間にある蛙岩での休憩シーン。全員が視線をカメラから外しているので、アーティスト風の写真に仕上がっている。
こちらは祖父が虚空に黄昏ている単独写真。
合戦小屋で休憩し、中房温泉で縦走完了
燕岳の写真はなくて、下山中の合戦小屋での休憩の一コマ。後2時間もすれば下山という場所ですが、表情には疲れは感じ取れないです。
それにしても、燕山荘は小屋スタンプが豊富だったんですね。
縦走の写真はこれで最後になります。登山口にある中房温泉の露天風呂で汗を流したようです。5泊の行程を終えての露天風呂は格別だったでしょう。
麓に降りて、浅間温泉の鷹の湯旅館に宿泊したようです。封筒が貼り付けてありました。既に廃業しているようですが、夜は盛大に宴会をしたのかな。
封筒の中にはポストカードが入っていました。宿のオーナーが書いた日本アルプスの風景でしょうか。
65年前の登山ノートを見終えて
このノートからは、穂高連峰の山々に感動したり、槍ヶ岳が見えてくると一憂し、雷鳥を珍しがったり、登山者の格好は大きく変化しても、山の風景と人の心は、全く変わらないことが伝わりました。
登山仲間と一緒に撮った写真が多くて、それも見応えがありました。被写体になる風景はそれほど変化しませんし、人間を移しておくことって大切だなと改めて思いました。恥ずかしがらず、正面の写真をもっと残しておくべきだな…。
そして、65年前の登山風景が鮮明な写真で残っていて感動しました。祖父が当時としては性能がいいカメラを使ってくれていたおかげです。押し入れを漁ればもっと写真が出てきそうなので、大変な大掃除が少し楽しみです。
コメント
初めまして。
貴重なおじい様の資料を公開していただきありがとうございます。
65年前の登山の服装や装備、コース取りなど大変興味いお写真でした。
足袋をはいておられる方もいますね…。
ありがとうございました。
シェルティママさん
こちらこそ、初めまして。
ブログを読んでいただきありがとうございました。
半世紀以上前の記録って、珍しいものかどうかもわからず、個人的に面白かったのでアップしてみました。
山岳会に入っていない一般人でも縦走できる時代になったんですかねえ。
これ以外に写真があるかはわかりませんが、シリーズにできればいいなと思っています。
veryblueさん
素晴らしい山旅でした。私の親父も50年前にハチャメチャな山旅をしていたそうです。今でも写真は残っており装備に頼らず自身の体力でカバーの昭和スタイルでした。
数か所同じ山で同じ場所の写真を撮りましたが緑は失われてました。私たちは今の緑を残しながら山登りを楽しみましょう。またコメントさせていただきます。
ウタロウさん
コメントありがとうございます。
当時の登山ってかなり今と違ってそうですよね。よくこんな装備で行ってたなと思う次第です。
環境意識もなかった時代なので、伐採しまくったり、ゴミを捨ててたり、トイレも使わずなんてことも当たり前だったかもしれませんね。
また、コメントお待ちしています。
65年前も今も、登頂の感激、景色に感動、
写真に残す、下山して温泉で手足を伸ばす。
変化したのは、登山アイテムですかね
すみません、名前を忘れてました
やま子です
やま子さん
コメントありがとうございます。
稜線から見える景色は今と変わっていないかもしれませんね。
登山装備は大きく変わりましたね。
それと、昔はみんなが喫煙者だからか、登りタバコしてるようでした。