2018年5月5日
長崎県の雲仙普賢岳に行ってきました。標高は最高峰の平成新山で1483mです。
長崎県の西側の島原半島を形成する火山です。雲仙岳は普賢岳・国見岳・妙見岳の三峰から成る総称で、登れる山としては普賢岳が最高峰です。総計20ほどの山々から成るとも言われています。
昭和生まれ世代ですと、雲仙普賢岳噴火のセンセーショナルな報道を覚えている人は多いと思います。九州は九重山、阿蘇山、霧島山、鶴見岳、桜島など、多様な火山がありますが、一番登ってみたかった火山と言っても過言ではありません。
そして、九州の山と言えばミヤマキリシマ。この普賢岳にも咲きます。2018年は開花が早まり、ゴールデンウィークで見ごろでした。島原半島はユニークな土地で、歴史と文化も楽しめる旅でした。
雲仙普賢岳 登山
長崎県の島原半島へ、仁田峠のミヤマキリシマ
前日は福岡県の博多に宿を取っていたので、早朝に雲仙普賢岳に向けて出発しました。福岡市内から雲仙普賢岳までは170キロ程、東京から長野県の清里に行くくらいの距離感です。
長崎市内か雲仙温泉郷に宿を取りたかったけど、ゴールデンウィークで全く予約が取れませんでした。正面に雲仙岳、島原半島=雲仙岳という感じです。
登山口のある仁田峠に向けて、走ると途中に雲仙温泉郷があります。火山の登山は、麓の名湯に直行できるのが良い点です。
一歩通行の雲仙仁田峠循環道路を走っていると、途中に仁田峠第二展望所があります。寄り道するべきポイントの一つ。
展望所からは平成新山を展望することができます。
平成新山は文字通り、平成の時代に生まれた山です。2020年の現時点で35歳以上くらいの人だと、普賢岳噴火のニュースを覚えている人は多いと思います。
ビフォアアフターの写真が掲載された看板があります。1991年当時の最高峰は普賢岳の標高1359mで、平成新山は124m高い1483m。
平成新山は火山活動継続中で立ち入り禁止です。
最高峰が火山活動中で登れないと言えば、長野県の浅間山と同じ属性です。地質調査や学術研究などでは登られているみたいです。
噴火前後で比較すると、平成新山の風格は見事なものがあります。
島原半島は有明海に囲まれ、360度海が見えるので、離島に来ている気分です。海の向こうには熊本県の天草地方の島々。
雲仙岳の魅力の一つであるミヤマキリシマが咲いていました。通常であれば5月下旬頃が見頃ですが、異様な暖かさの影響により、2週間の前倒しで開花していました。運が良い。
9時半に仁田峠駐車場に到着しました。ゴールデンウィークど真ん中の晴天日ということもあり、ほぼ満車に近い状況でした。
仁田峠はミヤマキリシマの名所で、ピンク色に絨毯が出来ていました。さすがに満開まではもう少しのようで、7~8部咲きでした。
大分県の九重山、鹿児島県の高千穂峰のような山を全部ピンクに染める程ではありませんが、規模はなかなかのものです。ミヤマキリシマの咲く季節は、九州にワープしたい。
「雲仙ツツジ」の別称で呼ばれ、長崎県の県花に指定しているそうです。他のミヤマキリシマと変わりません。そして、「雲仙ツツジ」と言う花は別にあるので、ちょっとややこしい。
ミヤマキリシマの庭園を抜けて、登山口へと登っていきます。
雲仙ロープウェイの立派な建物がありました。
一匹の野良犬が駆け回って、観光客から餌を恵んでもらっているのが強く印象に残っている。
登山者的にはロープウェイ利用はあまりメリット薄いので利用しません。「ろーじぃ」と言う誰を対象にしているのか疑問なキャラクターがいました。
ロープウェイの横にも展望地があり、平成新山の石碑が置いてありました。
ちなみに、昭和新山は北海道にあります。令和にも果たして「令和新山」が出来るでしょうか。平和にできればイイですね。
普賢神社から登山スタート、新緑眩い登山道
平成新山は立ち入り禁止なので、旧最高峰の普賢岳を目指します。普賢神社拝殿の横が登山口の入口です。雲仙岳は霊峰なのです。
火山のイメージが強い普賢岳でしたが、登山道は緑に溢れかえっていました。
登山口から数分で6合目に到着。たぶん、大昔のルートはもっと麓から伸びているのでしょう。今では、登山口から山頂までの標高差は300mなく、体力的に優しい山です。
序盤はひたすら横移動するので、登っている感はゼロ。
ぽかんと空いた広場のようなところがあり、鳥居がありました。地元のおじさん達らしき人が談笑してました。
長崎県の最高峰なので、登山道の看板は丁寧に記載されています。秋田県の秋田駒ヶ岳のような感じで…。
思っていたより緑の量が多く、火山らしい荒涼さはありません。
紅葉茶屋の分岐に到着。
茶屋と言っても店はありません。昔はあったのでしょうか。風穴を巡りつつ、山頂に向かうコースがあるので、事前に調査しておきましょう。
自分のプランだと風穴を見て回る時間がなかったので、山頂に直登です。ごろッとした火山岩が行く手に現れます。
鎖場も登場。
と言っても、危険さはほぼありません。
結構な傾斜の岩登りです。
広がったスペースに出ると、普賢神社(たぶん奥宮)がありました。普賢は菩薩の一人、「全てにわたって賢い者」という意味です。願えば頭良くなれるかな。
開山は飛鳥時代の西暦700年頃らしいので、歴史ある山です。
普賢岳山頂までは後僅かです。
山頂へと続く火山岩を登り続けると、大きく空が広がりました。
有明海と東シナ海の360度の海、平成新山の大展望
普賢岳の山頂に到着しました。
登山口から1時間かからず、57分で到着しました。
普賢岳の正面には、溶岩ドームそのものの平成新山が君臨しています。
普賢岳は最高峰から降格、もしかすると50年、100年経つと、平成新山がメインとなってくる日が来るのかもしれない。平成に出来た山だから平成新山、ジャックの息子だからジャクソンのようなストレートさを感じる。
普賢岳の山頂は日本屈指と言っていいくらいに展望が良いです。有明海と東シナ海の二つの海に挟まれた景色は爽快です。
雲仙岳は長崎市と熊本市の中間にあり、海を挟んでいる分、熊本市側からの展望が良いらしいです。この日は写真に映ってませんでしたが、熊本県の阿蘇山を認識できました。
普賢岳の山頂は岩が多いですが、広いのでたくさんの登山者が休憩できます。断崖の上にあり、下が緑の樹海なので、浮島のようでした。
セブンイレブンで買った九州っぽい「かしわめし」を食べました。長崎らしくちゃんぽんを食べたかったが、リンガーハットが営業してなかったので断念。
ちなみに、山頂のミヤマキリシマはまだ蕾でした。登山口の仁田峠とは開花時期がズレているようです。
1991年6月3日に火砕流が発生し、43名の犠牲者が出て、2014年の御嶽山の噴火までは戦後最悪の被害でした。火砕流が人里に迫ってくる映像は、子供ながらに恐怖した記憶があります。自然災害ではありますが、人的被害は報道競争による人災の側面があり、その辺は調べてみて下さい。
ツツジの咲く登山道、国見岳と妙見岳
普賢岳の山頂を後にして、国見岳~妙見岳を経由する周回コースへと進みます。
正面に国見岳が見えてきました。平成新山以外は緑の山です。
「見て、山がピンク色に染まってるわよ」
前方から降りてきたおばさん3人組の声がしなかったら気付きませんでした。山肌を染めるピンクのツツジが綺麗です。ミヤマキリシマではないツツジかな?
遠目だけでなく、近くにもツツジが現れます。5月の標高1000m~1500mの登山は、これが良い。
平成新山と普賢岳が遠くに見えます。周囲に海が見えるので、屋久島に来ているような感覚が僅かばかりあります。
稜線に出て、国見岳へと進みます。
今回のコースでは難所の岩登りが登場。そこまで危険ではないけど、打ち所が悪ければ、あの世行き間違いないです。
登山仲間であるSTRONG氏(白馬岳、高妻山、樽前山などに出てくる)と声が一緒の長崎ガールがいて、「こんな遠くの山で偶然?!」と思っていたのは余談である。隊を盛り上げるキャラだったので、違うなと判断。STRONG氏は、いじるとき以外は低く喋る。
国見岳に到着。山頂は狭いです。雲仙岳を構成する三岳(三峰)の一つです。国見岳はミヤマキリシマのスポットらしく、5月下旬ごろに見ごろを迎えるらしいです。
国見岳から見る平成新山は特徴的です。おぼっちゃまくん(知ってる人がいるかどうか…)の頭のように先端がぴょこっと飛び出ています。
国見岳からは麓にある雲仙温泉が見えます。右にあるのはおしどりの池。さらに山を越えて見えるのは、海沿いの小浜温泉。
箱根と熱海のような山と海の温泉リゾートエリア。
国見岳を後にして、妙見岳を目指します。妙見岳は入口のロープウェイで登れる山です。
国見岳~妙見岳は歩きやすい細い尾根道。細かなアップダウンを繰り返すので、逆周回でもよかった気も。
ここにもツツジはたくさん咲いていました。紅葉の時期に登っても楽しませてくれそう。
やがて、妙見神社にたどり着きました。
普賢も菩薩の一人でしたが、妙見も菩薩の一人です。
妙見神社まで来れば終盤。ロープウェイの音が聞こえてきます。平坦な山道を少しばかり歩いて行きます。
ロープウェイの展望台が見えてきました。
有明海の展望が見え、天草地方の小さな島々が見えます。もっと、空気が澄んでいれば五島列島も見えるのかな?
観光客と合流しました。ゴールデンウィークでしたが、そこまで混んでない観光地のようです。
ロープウェイの広場からちょっと登ります。
妙見岳の山頂に到着です。一応、雲仙岳の三峰(普賢岳・国見岳・妙見岳)を踏みました。展望は特にないです。
雲仙ロープウェイは移動距離はそこまでなので、徒歩で下山しました。仁田峠のミヤマキリシマ群生地に下山しました。
雲仙ロープウェイの売店に立ち寄り、登山バッジを買いました。ついでに、うに豆を購入。
駐車場にアイス屋台が来ていました。長崎県内で移動販売している「ちりんちりんあいす」です。60年の歴史があるらしい。秋田のババヘラアイスと同じ系統ですか。
とりわけ、凄い美味しいと思うわけじゃないけれど、シャーベットとアイスクリームの中間のような食感で、口当たりがすごく爽やか。何より値段が安いのがいい。
登りの時に見た野良犬がまだうろついていました。冬になったらどこに行くのだろうか。
ロープウェイ以外にも売店があります。普賢岳噴火まんじゅうが売っています。今じゃ、不謹慎だと叩かれそうなネーミングである。
雲仙温泉郷で温泉三昧と地獄めぐり
登山を終えた後は、温泉郷に移動し、青雲荘に立ち寄りました。草津や那須など、火山らしい乳白色の硫黄泉で、温泉らしい温泉でサッパリしました。露天風呂の開放感が良かった。
有名な温泉は小地獄温泉ですが、時間がなかったので入らなかった。
温泉でさっぱり汗を洗い流したら、定番の地獄めぐりを観光。源泉の散策コースを歩きました。ちなみに「雲仙」はもともと「温泉」のことのようです。
汗臭さを洗い流したのはいいが、硫黄臭くなってしまうのは、よくあることです。
散策コース内にある売店で、雲仙名物地獄蒸し温泉たまごが売っていました。猫が売り子をしています。臭くないの?
一匹かと思ったら、下からもう一匹出てきた。
イチャイチャこき始める猫。猫のストリップ(?)を見ながら、卵が蒸しあがるのを待ちました。
温泉たまごは非常に美味しかったです。ノーマルなゆで卵とそんな変わらないだろうと思いつつも、食べてしまいます。
島原の郷土料理、たくさんの具材が入った具雑煮
雲仙温泉を出発し、半島の西、島原市方面に降りました。海に続く緩やかな坂のある街、とても好きだ。
島原は高校の修学旅行で訪れています。その時は、まるで興味が無かったのか、バス移動中ずっと寝てました。クラス全員が寝てたと思う。行きの飛行機が離陸したとき、拍手が起きる学校のくせに(飛行機に乗ったことない人がほとんど)
記憶が抜け落ちた島原観光を改めて出来て良かった。ローカル牛乳の雲仙牛乳を飲みながら、そう思う。
ともかく腹ごしらえということで、島原の有名店である姫松屋にやってきました。
郷土の料理の具雑煮を注文しました。
姫松屋はローカル密着の料理屋だけど、観光客も受け入れるキャパ大きめなレストランです。親戚同士で集まったりするような。言いたいことが伝わるかわからないけど。
具雑煮定食(980円)です。お稲荷さんは別に注文。
具雑煮は歴史の授業でもお馴染みに島原の乱に起源があり、島原地方ではお正月に食べられている具だくさんのお雑煮です。
もち、白菜、ゴボウ、椎茸、レンコン、春菊、穴子、鶏肉、玉子焼、高野豆腐、かまぼこの具が入っており、寄せ鍋と言っていい内容です。お雑煮を店で食べるのは、なかなか無いので良い体験でした。
島原の観光スポットの島原城と武家屋敷、世界遺産の原城跡
姫松屋を出たら、すぐ近くの島原城を観光しました。建設は1608年頃、明治に一度解体されましたが、1960年代に復興したお城です。
城内からは雲仙岳を眺めることができます。手前の山は眉山と呼ばれる、普賢岳に付属する火山です。
「島原大変肥後迷惑」
御存知でしたらスーパー仁君人形を差し上げましょう。文字だけ見るとなんのこっちゃと思いますが、本当に文字通りなのです。そして、山に関する災害でいえば、日本史上ダントツの犠牲者が出ています。
眉山が崩壊し、大量の土砂が有明海になだれ込みます。そこで、大津波が発生し、対岸の肥後(熊本)を襲い、反射した津波が島原を襲ったという、まさに地獄絵図のとんでもない事件です。約15,000人が亡くなったとか。火山活動で山が崩れて津波が発生、世界でも稀な災害のようです。
ちなみにスーパー仁君、草野仁は島原出身である。
島原は観光地がいくつかありますが、本日の宿は長崎市内のため、限られた時間の中でしゃぶりつくします。武家屋敷を見学します。
江戸時代の面影を残すエリアが保存されています。雲仙岳に降った雨による湧水群があり、綺麗な水に恵まれています。
夕日の傾く島原半島、そして雲仙岳。観光のお替りを目指し、島原市からさらに移動します。
今回のゴールデンウィークの旅の出発日。飛行機の中で「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産登録が決定する報道を見ました。元々、予定してなかったけど、この偶然に乗っかってみようと思いました。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は全部で12個ありますが、島原半島にはその一つである「原城跡」があります。訪れた率直な感想を言うと、「これが世界遺産?」。海沿いの平らな場所に、石が積んであったり、並べられてる広場です。
しかし、日本の歴史で見れば重要な場所で、簡単に言うと島原の乱(島原・天草一揆)の最後の舞台。幕府に対して反乱を起こした領主と農民が、籠城して、皆殺しにあいました。
事の起こりは領主の年貢の締め付けによる最大規模の一揆でした。また、幕府のキリスト教への弾圧の側面もあります。そして、長期に渡る鎖国へとつながって行くことから、日本の歴史が大きく動いた内戦でした。
もし、この内戦が起きていなかったら、幕府軍を押しのけていたら、鎖国がなかったら、今の日本はかなり違うものになっていたのだろうと思います。日本がもっとグローバルに進出していたり、イギリス英語をしゃべっていたり、日本語圏の国が複数あったり…。
日本史の一ページを思いふける場所でした。
島原半島を19時に出発して、長崎市内に到着したのは21時。早朝から行動してボロボロでしたが、長崎名物皿うどんを食べたいと言うことで、長崎ディープナイトに繰り出します。
歓楽街の思案橋にある3回話しかけないと反応してくれないおばあちゃんが営業している中華店(天天有だったっけかな?)で皿うどんを食べました。具沢山で非常に美味しかった。
翌日は長崎の市内観光と軍艦島に上陸するなど、べたべたな観光をしました。長崎は今日も晴れであってほしかったのが残念。稲佐山の夜景はガスガスに終わりました。
雲仙普賢岳の登山を終えて
登山で全国を回るようになって、人口はそこそこいるけど、独特の雰囲気を持つ地方に出会います。例えば、埼玉県の秩父、福島県の会津、岐阜県の飛騨など。山に囲まれているので、歴史と文化が色濃く残っていて、全国でおなじみのチェーン店の侵略をあまり受けていなかったり。
ほぼ、四方を海に囲まれているからでしょうか。この島原はそのような雰囲気があり、旅情を感じました。
雲仙岳(普賢岳)は文句つけようもなく期待以上の山でした。
仁田峠のミヤマキリシマ群生に始まり、新緑の茂る登山道、そして、見渡す限りの海。出来立ての平成新山を眺め、名湯に癒される。
桃鉄でゴールに設定されると、端っこにあるため混戦になる長崎ですが、訪れて良かったです。次に登りたい長崎の山は対馬の白嶽ですが、五島列島にも行ってみたい。とても魅力の尽きない長崎でした。
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