2014年9月6日
富山県は北アルプスの立山を登山してきました。標高は3015mです。
立山は雄山、大汝山、富士ノ折立の3つの峰の総称です。日本を代表する名山として名を連ね、現在でも山岳信仰が残る山です。
立山黒部アルペンルートにより、登山者でなくても標高3000mの自然に触れ合える場所でもあります。
2014年夏、立山そして剱岳は最優先事項の登山でした。
日本アルプス登山ハイシーズン期間中は悪天候続きの週末で、計画順延を繰り返し、7月そして8月が無情にも過ぎ去ってしまいました。ようやく晴れる週末がやってきたのは9月の頭でした。
このチャンスを逃したら2014年の登山シーズンが終わってしまうということで、無理やり平日休みをねじ込んでの実行となったわけです。
今回は2泊3日の立山剱岳のテント泊登山の前編です。
立山三山縦走スタートです。
立山三山について
地図
室堂を出発し、立山三山を縦走、剱沢キャンプ場でテント泊しています。
立山登山
プロローグ
3日目。
スタート地点に戻る道中。
大きく息を吸うたびに鼻に入ってくる不快な汗の臭い。挙動によって、体と衣服が粘りつきながら擦れる感触。自分の体の表面に汚物がまとわりついているかのような忌々しい感覚があった。
峠を越えて坂道をくだると、9月という時期でありながら、雪解け水がさらさらと流れ続ける沢の音が聞こえてくる。
立山連峰が入山初日と同じようにその風景を作り上げていた。
「旅がようやく終わる…」
安堵のため息を漏らすと同時に、あの長く辛かった1日目・2日目の記憶が蘇る…。
旅の始まりの一枚は、定型化されつつある諏訪湖サービスエリアよりこんばんは。
夏の登山ハイシーズンともなるとアルプス行きの夜行バスが停車するため、深夜登山靴を履いた人が集結します。毎度このサービスエリアを訪れているのですが、レストランと売店の段差が欠陥としか思えない。
諏訪湖サービスエリアからは、諏訪湖の夜景を展望することができます。最近、レリーズ(シャッタースピードを調整するリモコン)を買ったSakuさんが、車の流し撮り(このような用語があるかは不明だがヘッドライトが線になる撮り方)を試していました。
しかし、「恋人の聖地」の立て看板のある傍らで、男が三脚を立てて、一眼レフカメラを構えるというのはいささかシュールな図です。
長野自動車道の安曇野インターで降りて、国道147号線で扇沢を目指します。
インター近くのすき家で朝食を食べる。当時話題になったすき家のワンオペ問題を語った気がする。
扇沢に午前5時半に到着。
自分たちが駐車場でのろのろと準備(Saku氏のパッキングがあまりにもひどいので指導していた)している間に満車状態になりました。
駐車場から扇沢に向かう途中に麦わら帽子が転がっていました。
夏の名残なのか。
扇沢~立山黒部アルペンルート
扇沢駅に到着。
無料駐車場から徒歩5分ほど離れています。扇沢に来るのは2年ぶりで、鹿島槍ヶ岳と五竜岳の縦走の時以来です。前回は直接登山口に歩いて行ったので、立山黒部アルペンルートの利用は初。
扇沢から立山黒部アルペンルートを利用し、立山の登山口である室堂に行きます。
立山黒部アルペンルートというのは、公式サイトを見てもややこしく、事前に理解する必要があります。
扇沢からは順にトロリーバス、徒歩、ケーブルカー、ロープウェイ、トロリーバス(2回目)の5回の移動手段によって室堂へと到着できます。
片道料金は5850円(+手荷物量500円)です。
「たっかぁ…。」
片道料金だけで普通にテーマパークで一日遊べてしまう料金です。
9月の始発は7時30分でした。
ハイシーズンの時間を見ていて、6時30分からと思っていたので、1時間も何もない扇沢で待つ羽目に。
扇沢から黒部ダムまでは、関電トンネルトロリーバスに乗ります。
車内アナウンスにて、世紀の難工事であった黒部ダムの歴史が語られます。
北アルプスの山脈をぶち抜き、扇沢から黒部ダムを繋げるトンネル作業は特に困難を極めたのだとか。破砕帯という岩が細かく砕け、地下水を大量に含んだ一帯は、地下水が流れ込んでいました。
黒部ダム駅に到着です。
長野県と富山県の県境はトンネルの中央にあり、黒部ダム駅は富山県です。
ケーブルカー駅に至るまで徒歩15分を要します。
この駅は1ヶ月後に下ノ廊下を旅した際に再び訪れています。
トンネルを抜けるとそこは黒部ダムだった。別名は黒四ダム。
奥に見える森林限界を越え、白くなった山頂は立山です。記事の後半で、山頂からの景色がわかります。
建設によって殉職した労働者の慰霊碑がありました。
工事期間中は足場の悪い場所での運搬や自然相手の危険を伴うトンネル工事の労働災害によって171名が殉職したとか。
黒部ダムの堤防を歩き対岸に渡ります。
立山黒部アルペンルート観光のハイライトである黒部ダムの観光放水です。6月下旬から10月中旬のハイシーズンだけ実施されているようです。
轟音とともに吐き出される水しぶきは観光客がいるところまで届き、圧倒的な迫力がありました。堤防の高さは186mで、日本一の高さです。ちなみに富山県で一番高い建物という話。ダムが一番高い建造物とはさすが富山県。
立山黒部アルペンルートなので、立山から黒部にかけての順が正しい観光ルートなのでしょう。
兎にも角にも観光客気分でありながら、本業の登山をするため対岸に向かいます。Saku氏のパッキングが雑で、歪んでおられる。
黒部ダムより南側に位置する山は赤牛岳です。
黒部ダムの岸にそって歩き、渡し船に乗り、読売新道という登山ルートを歩き到達するようです。無料である渡し船に乗りたいが、山頂に至るまでは気の遠くなるような尾根道っぽいので登るかどうかは怪しいところ。
あのへんの山は赤をテーマにしている人に任せましょう。
対岸に渡り、ケーブルカーの黒部湖駅に到着。
山ガールグループの身軽そうな格好が羨ましくなる。
室堂への切符は扇沢で買えるのですが、手荷物券を都度買わなければ行けないのが面倒です。
トンネルから金切り音と共にケーブルカーがやってきました。
直線移動距離は0.8km、標高差は373m、所要時間5分。
立山ロープウェイの「黒部平駅」に到着しました。
扇沢を出発して1時間が経過…。
重いテント泊装備で、他の登山者や観光客に気を使いながら乗降するのにとても労力が掛かります。とても黒部ダムの建設に携われません。生まれてきた時代は正しかった。
乗り継ぎ待ちがあったので展望台へ。
黒部平は標高1828m地点で、眼前に立山連峰、背後には後立山連峰の絶景が広がります。
立山ロープウェイは水平長1638m、標高差488mです。
途中に一本も支柱がないワンスパン方式というらしい。一体どうやって作ったんだ…。9月下旬から10月上旬の紅葉が有名なようで、ロープウェイの待ち時間がとんでもないことになるらしいです。
ロープウェイからの後方には後立山連峰。
その後立山連峰の最南端に位置する針ノ木岳は毎年行きたいと思っているのですが、なかなか機会に恵まれずにいる山です。
所要時間7分弱で「大観峰」に到着です。
大観峰(だいかんぼう)と言えば、同名の地として九州の阿蘇にある展望地が有名です。
乗り換え待ちの駅なのにおみやげ屋が充実している点が凄い。
地方都市の中心駅から一つ隣の駅より確実に充実しているのではないか…。
大観峰からは最後の移動で、再びトロリーバスに乗り込みます。
5月と11月はスキーシーズンらしいですが、テント泊装備にスキー道具を担ぐ人はどんな体力しているんでしょ。
立山の登山拠点「室堂」に到着
室堂に到着。
長かった…。
扇沢から徒歩含め5回の乗り換えは、登山前に体力をだいぶ削られました。富山県側から出発するとケーブルカーと高原バスの乗り換え2回、到着時間も早い。
標高2400mがバーゲンセール会場になっているとは誰が思っただろうか。
この日は「立山フェス」というイベントが開催されており、アウトドアブランドのセール、レッキングツアーの開催、新作テントの展示などが行われていました。
ここは代々木公園なのか。
登山口で登山ウェアを売っているというのに疑問を感じる。突発的に登りたくなる観光客が買うんだろうか…。
秋葉原の路地裏にいるような東欧人が営むケバブ屋があったら面白かったんだけどな。
標高2400mというと栃木県の日光男体山の山頂と同じ標高でありながら、この観光地の様相はすごい。
そんな「立山フェス」が開催中であるためか山ガールが非常に多かったです。
登山者の3~4割を占めているんじゃないだろかという比率です。
女子だけのグループが準備体操をしていました。
テント泊とかやめて、こっちに混ざりたい。
山ガール豊かな立山に舞い降りた社畜。
カラフルなウェアに溶けこむ…はずもなく、ひときわ異彩を放っていました。
「立山玉殿の湧水」
登山口には立派な水汲み場があります。扇沢からの過酷な行程を考えると水は一切持たないで来るのがいいですね。
というわけで、ようやく立山の登山開始です。
序盤の室堂平は広大な平坦地。
立山ホテル、みくりが池温泉など6つの宿泊施設が点在する高原リゾートです。
太陽のギラギラした刺激的な熱射線は和らぎ、秋に足を踏み入れていました。
室堂平のイワイチョウは黄色に変色し、草紅葉をしています。
高山植物はあまり見当たらず、トリカブトが目立つように自生していました。
自生している姿は凛々しいのですが、名前の如く鶏冠のような花弁が紫と相まって不気味さもあります。
石井スポーツがザック&登山靴診断所をやっていました。
ザックによって隠れている「社畜魂」と「月山保安庁」Tシャツを見られたら、検問を受けて入山禁止になるのではないかとヒヤヒヤものでした。
平坦な室堂平を清々しく歩いていると分岐点に到着。
「立山には立山三山がある」という事実を知っていて、立山三山がどの山かを全く把握していませんでした。
立山は「雄山」、「大汝山」、「富士ノ折立」の三山から成り、立山三山は「浄土山」、「雄山」、「別山」の三山から成るということを室堂平の分岐点でスマホで調べるという意識の低さでした。
立山三山一座目「浄土山」
立山三山に登るために「浄土山・五色ヶ原方面」に進みます。
そんな、意識低い系の登山者である我々は立山は「誰でも登れるハイキング的で楽勝な山なんでしょ」という認識でした。今年はじめてのテント泊だけど楽勝楽勝というのは、この後の展開で脆くも崩れ去ることになろうとはこの時は微塵も思っていませんでした。
室堂平から見た立山の位置関係を字で表現すると以下(スマホだと改行されますが)。
別山 富士ノ折立 大汝山 雄山 浄土山
「立山」を構成する3つの山は固まっていますが、「三山」を構成する山は離れています。
全ての登山者が山に来たら意気揚々と歩いているわけではなく、日々の労働の疲れを引き連れ、慣れない背中の重みと戦っています。
まだ、序盤で息を上げ休憩。
浄土山の肩部分に差し掛かり、奥へ進むと北アルプスの展望地があるので立ち寄りました。
展望地から正面に広がるのは薬師岳、水晶岳、黒部五郎岳など北アルプス最深部の山々です。これらの山々は2013年の夏に雲ノ平を訪れた時に登っています。
立山と薬師岳の中間にある五色ヶ原は気になる場所です。が、薬師岳の山頂で見かけた大学の山岳部連中のやつれ具合から相当キツイ登り返しがあるんだろうな…。
さらに奥には北アルプスの南部エリアの展望があります。
特徴のある槍ヶ岳は、立山からも目立ちます。
西には北陸の名峰である白山連峰が見えました。
次回訪れるときは宿泊してじっくり楽しみたいところです。日帰りはバスの時間制限もありしんどいです。
というわけで、のんびりとした時間は終わり、立山三山の一座目である浄土山を登ります。
容赦のない傾斜を登ります。
テント泊装備の時は余裕が全く無いので、足元ばかりを見ているので、気がついたら山頂間際に到着するというパターンが多い。
11時34分 立山三山(浄土山)山頂
登ること分岐点から40分で、浄土山の頂上に到着しました。
立山三山の一座目を祝し、「1」のポーズを高らかに示します。
日本各地で見かける「世界が平和でありますように」と書かれたポールの正体は、某宗教団体が設置しているピースポールというものらしい。一つの宗教団体が国立公園内に設置できるというのはかなりの政治力とお金が動いているんだろうという勘ぐりが働く。
浄土山からは、標高3003m雄山をはじめとする立山主峰群の圧倒的な威容を目にすることができます。
右下に見える山荘がある場所は一ノ越で、そこから雄山まで急激に登り返している。立山は楽勝ではなく、意外とキツイ山なんじゃないかという懸念が頭をかすめます。
頂上にある山小屋まで連なる登山客の列が見えます。
軍人霊碑があります。
日露戦争で戦死した富山出身の軍人を祀った碑だそうです。
雄山の先は白い稜線が続き、その奥に黒に染まり異彩を放つ山が見えています。
剱岳
ギザギザと不規則な輪郭をしつつも均整な三角形の姿は、自然の畏怖をそのまま表しているかのようでした。
明日あそこに登るのか…ブルっちまうぜ…。
この時、剱岳に視線が集中し、雄山から続く別山への長い稜線が目に入っていませんでした。
目下、一度下って、雄山を登らないと行けません。
よっこいしょ。
浄土山山頂には小屋がありますが、登山客用の施設じゃなく、富山大学の研究所のようです。
目を背けたくなる急な下り坂。
目を向けたくなる景色。
岩石帯にから緑の高山植物対に変化し、緩やかに麓まで伸びる風景は7月に訪れた北海道の大雪山(だいせつざん)と似たものを感じます。本州に住む自分にとって、訪れる順番が逆転していますが。
テント泊装備なので、段差のある箇所は慎重に歩きます。
立山三山二座目「雄山」
12時50分 一の越
雄山への分岐点で、一の越山荘とトイレがあります。室堂平の分岐点から3時間も経過していました。
室堂から直接この一の越を目指せば1時間で来れるので、突然の変更により2時間をロスすることに。
この2時間が致命傷となることをまだ我々は知らないのであった。
登りのピーク時間は過ぎ、下山のピークタイムと重なったため、足を止めながら登らざるを得ない。
岩に腰を下ろし登山客を眺めながら休んでいると、某SNSにてやり取りがあった人を見つけました。
「大きいザックですね~何が入っているんですか?」と聞かれたので、
「夢がつまってます(キリッ)」とクールに回答しました。
富山に夜行バスで来て、夜行バスで都心に帰るという強行軍な山ガールと別れ、男二人のむさ苦しい旅は続きます。
下山者がぞくぞくと降りてきて、登山者の優先的な権利が揺らいでいます。
※登山者を優先的に道を譲るというローカルルールがある
14時9分 立山(雄山)山頂
頂上は整地されていて、平らでしたが、人多すぎてすれ違うのも困難。
一等三角点がありました。
三角点を踏む。
これをやるやらないは気分次第なのでそこまでウェイトを置いていない儀式。
明治28年に設置された三角点。
映画「剱岳」で、立山で測量しているシーンを見ることが出来ます。
社務所から神主さんが出てきて、山頂へ歩いて行きました。
朱色の羽織がとても目立ちます。
鳥居の先は登拝料500円を収めます。
登拝料を収めると「立山頂上雄山神社」と書かれた、鈴のついた紙製の赤い御札をもえらえます。
旅の無事を膝をついて祈ります。
本殿前の門。
喫煙、飲食、電話禁止でしたが、撮影は大丈夫なようです。山形県の月山はダメだった。
奥宮への最後の階段。
立山麓に住む子供は18歳までに立山に登り、一人前になるという風習があったらしいです。新調した白装束に着替えて、登拝前の1ヶ月は殺生を禁じるほどの厳格なものでした。
頂上社務所の展望です。
お清めの杯を頂きました。立山三山デザインの盃なのかな?
頂上を示す碑がこっそりと設置されていました。
日本でも屈指の名峰であるため、でかでかとあるものだと思っていました。神の聖域であるため、控えめなのでしょう。
雄山より見下ろすと立山黒部アルペンルートで、徒歩通過した黒部ダムが見えました。
長野県扇沢からのトンネル開通前は、立山から工事機材を運んだというのは驚き。重機などは分割して運び、現地で組み立てたそうです。
これから向かう剱岳に睨みを利かせる社畜と月山保安庁。
映画だったら序盤で速攻ドロップアウトしてしまう雑魚キャラだ。
三角点越しの槍ヶ岳。
立山三山の二座目を祝し、「2」のポーズを高らかに示します。
この時はまだまだ元気でした。
カラフルな登山ウェアで埋め尽くされているのに全く溶けこまないTシャツを着ていることを忘れ、社務所を物色するSaku氏。
「社畜なんですか?」
と、地元富山の山ガールに声をかけらました。
最後に「お仕事頑張って下さい」と労をねぎらう言葉をかけてもらっていました。
成果を出さないと評価されないサラリーマン、日常では決してかけてもらえない言葉に
立山という日本で有数の名山に来ているのだから、じっくりと楽しまないと惜しい。
混雑ははけてきて、やりたい放題です。早く行けよと。
ようやく重い腰を上げて出発です。
雄山の稜線から続く剱岳。立山から稜線を歩いていけば、自然と剱岳に達しそうです。しかし、剱岳が日本最後の未踏の地であったというのが不思議です。
後日、その理由を理解することになるのですが…。
大汝休憩所を通過。
原則宿泊はできず、悪天候時のやむを得ない場合の施設らしいです。
見てないけど映画「春を背負って」の舞台になった小屋だそうです。
15時30分 立山(大汝山)山頂
標高は3015mと雄山より12m高く、立山連峰の最高峰です。女が男より強いのは、昔も変わらないのか。
岩石帯の稜線を歩きます。
15時49分 立山(富士ノ折立)
標高は2999mなので、剱岳に並ぶ標高です。雷鳥のイラストが描かれた看板が可愛らしい。
既に後続の登山者がいない中、飄々と抜かしていく仙人みたいな人がいました。その人物は、我々より先に富士ノ折立に到着して、ヨガをしていました。
大汝休憩所をのぞいた時、「希望の光」、「あなたが変われば世界も変わる」などの張り紙が壁にあり、独特の世界観が展開されていたので、この人が休憩所の番人なんだろう…。
立山を構成する雄山、大汝山、富士ノ折立を登り、「立山」を登ったということになります。
浄土山を無視していればとっくにキャンプ場について休んでいる時間です。直前でハードルを上げた我々は立山三山の最後の一角、別山(べっさん)を登らないといけないのです。
立山三山三座目「別山」
昼と比べると太陽が出てきたので、別山の山頂への道が白く輝いて見えました。
右の方角にある山荘に向かっていく登山客が羨ましい…。
眺めている分には良いのですが、とても絶望的な長さ。
9月になっても雪渓がまだまだ残っているんだなと関心する気力も薄れ、日没との戦いにより精神的にも追い込まれます。
大体、別山って「別の山」ってなんだよ。立山の隣にある別の山って、手抜きにも程がある名だ。登る意欲が全くわかないぜ。
山に対して悪態をつく始末。
急登というわけではないので、立山二山で疲れていなければ、難なく登れたのでしょう。
17時34分 別山山頂
標高2880mの山頂です。
立山アルペンルートで地味に体力を削られ、プラン変更による浄土山の追加、雄山での「無駄」な撮影活動のせいでしょう。
立山三山の三座目を祝し、「3」のポーズを高らかに示します。
ポール3本を掲げる力が残っていないのか、体が傾いています。
あ、これ雑誌で見たことある剱岳の全景だ。
苦しめられて怒りを禁じ得ない別山ですが、剱岳の展望地としては一級品です。
別山の山頂で既に17時30分を回っていました。
ヘッドランプだけは使いたくなかったので、剱沢テント場へは気力の下山です。
立ったまま登山靴の靴紐をほどけないくらいにボロボロの状態でした。
キャンプ場につき、テント設営を終えた途端、今の心境を表現するかのように雨が降り始めました。
初日のために用意した夕飯を調理する気力そして体力はなく、そのままテントに閉じこもり最低限の準備だけをして、明日の登山に大きな不安を抱えながら眠りにつきました。
後半は2日目以降の剱岳の登山です。
立山の登山を終えて
日本アルプスは最もコアなファンが多い山岳地帯と言っていいでしょう。
玄人好みな縦走ルートから初心者でも楽しめるハイキングルートまで、血管のように無数の登山道が伸びています。北アルプスは特に広大な面積を持ちながら、各登山拠点が存在し、交通機関のアプローチも優れています。
シーズン中は北アルプスしか登らないという登山者が結構いるようです。
自分の中で北アルプスに対する価値は、他の山岳エリア(奥多摩、丹沢)と変わりません。年に2回か3回行ければ、充足できるエリアです。
立山は登山を開始して長いこと憧れの山だったので、室道に降り立ったときの高揚感は、初めて北アルプスを訪れた時に感じたものと同じものでした。
今回は剱岳と一緒に登る計画であったため、立山が剱岳へ向かう登山道という扱いになったのは否めません。名峰中の名峰だけに、我々のように体力と精神をすり減らしながらの登山はお勧めしません。
室道平の山荘やキャンプ場に宿泊し、立山を周回するのが時間と体力に余裕をもって、楽しめるコースだと思います。
次にテント泊で立山に来る場合は、雷鳥沢キャンプ場に宿泊し、一日の時間の流れを感じながら巡ろうと思います。
コメント
素晴らしい景色に恵まれたんですね、アルペンルートの料金にはビビりますが
来年は立山、後立山連峰は歩いてみたいです。
赤牛岳はあれです、裏銀座行くときにみんな道連れでいきましょう。
>sakemaroさん
素晴らしい景色を見るためには、それ相応の金を積まなければいけないんですね。
表立山から後立山の縦走頑張ってください!
赤牛岳にどうやって赤身の牛肉を持っていくか、それが課題ですね。
立山いいですね!!
富士ノ折立の雷鳥の看板わたしの山友達がトールペイントで作ったやつなんですよー( ´艸`)
こうやってみんなの写真に写ってるの見ると嬉しくなります。
>まゆつんさん
なんですって!
山友達が作ったんですか。
む、自分にも看板製作のオファー来ないかしら。
今年の夏、6才の息子を連れて雷鳥沢で3泊4日のテント泊をしてきました。
初日と最終日は移動だけ。
2日目と3日目にそれぞれ立山縦走、奥大日岳往復しました。
天候いまいちでしたが、とってもいい山でした。
この後の展開が楽しみです。
>こばちさん
コメントありがとうございます。
雷鳥沢で3泊ですか!
3食分の食事を持っていくだけでも大変そうです。室道駅から雷鳥沢キャンプ場まで、意外に距離があって、きつい階段があって大変でした。
今回は奥大日岳に行っていないので、こばちさんと同じようなコースで登ろうと思います。
とってもお久しぶりです。数年前に何度かコメントしていた者です。私も9月立山~剱岳、テント泊山行してきました!この記録を見てあの良くも悪くも(悪いこと無いけど・・・)思い出しましたよ!veryblueさんの記録を見ると毎回心が動きます。また再開するキッカケをいただきました!ありがとうございます。
>やまねこさん
お久しぶりのコメントありがとうございます!
返信が遅れてしまいました。すいません…。
同じようなルートを歩かれたのでしょうか?意外とタフなルートで大変でしたね。
立山は今年も行っていて、剱岳もまた行きたいと思っています。
引き続きよろしくお願いします!
同じようなルートを登るのでネットサーフィンで情報収集してたらたどりつきました。
出発前も読んでいたのですが、
面白おかしく書かれる文章センスに、ただいま劔沢テント場にて再読し、一人で晩酌しながらクスクス笑ってました!
いつかどこかの山でお会いできると嬉しいです!
>ホリケンさん
コメントありがとうございます。
本記事を参考にして頂きありがとうございます。剱岳の登山でしょうか、自分は晴れていたものの、周囲の展望は今一つだったので、また登りたいと思っています。
キャンプ場では本当に寒い思いをして、テント泊なんてこりごりと思っていたりしました。
どこかの山でお会いできる日をお待ちしています!!!