2014年9月7日
富山県北アルプスの剱岳に行ってきました。標高は2999mです。
明治初期頃において、氷河によって削られた峻険な山肌は何人を拒み、日本最後の空白地帯でした。
「一般登山者が登れる最高難易度の山」とされ、登山道には断崖絶壁の鎖場が多数存在し、滑落事故が頻繁に起きている山です。
今回は2泊3日の立山剱岳のテント泊登山の後編です。
自分の登山は常に初心者として、経験者にガイドされるわけでもなく、いくつもの山に登ってきました。誰かに同行してもらう際も「連れて行ってもらう」というのではなく「一緒に行く」という気構えを持っていました。
奥多摩や丹沢の都内近郊から始まり、夜行バスで八ヶ岳やアルプスの山に登るようになり、今年は九州や北海道の山を登るようになりました。
剱岳は広大に広がる景色の中ある一つの山で、無縁の山だろうと思っていました。
たくさんの山を歩き続けている内に剱岳という存在が徐々に近づいてきて、「いつか登りたい」と思える日がやって来ました。
そして、今日その日を迎えることになったのです。
剱岳について
地図
剱沢キャンプ場から往復するコースです。
剱岳登山
剣沢キャンプ場のきわめて爽やかな朝を迎えました。
出発は6時くらいに設定していたので、朝5時くらいにテントから顔を出すと濃霧で360度真っ白でした。
立山縦走を終えたその夜。
テントが歪むような暴風が吹き荒れ、叩きつけるような雨が降りました。9月上旬とは思えない外気になり、寒さと騒音で何度も目が覚めました。
立山を剱岳のウォーミングアップに捉えていた我々に対する仕打ちなのでしょうか…。
2014年9月7日の翌日は平日でした。
剱岳に登ってそのまま下界に降りる人が多いため、未明にヘッドライトをつけ出発する登山者を見送っていました。平日に休みを取っておいて良かったなと。
我々がスタートしたのは、ゆるっと午前8時です。
前日に疲れ果て、夕食をろくに食べないまま寝てしまったので、朝食をしっかり摂りました。
剱岳の圧巻の眺めは全くありません。ガスに隠れています。
雲の流れは変動しているので、午後に晴れるんじゃないかと期待を持たせるような天気でした。
岩肌が剥き出しの荒々しい剱岳の山体が見え隠れします。
「岩と雪の殿堂」
風景的には「岩と雲の殿堂」になってしまっていますが、小屋の前の看板にて撮影。文体が某ディズニー映画に似ているけど、観たことないのでネタを思い使ったのが悔やまれる。
標高が修正されていました。
2010年前後の測定によって、標高2997mから2999mに更新されたっぽいです。
剣澤小屋から剣山荘を目指します。
ここのは雪が残っている箇所があり、滑りやすくなっていました。
「チングルマ」
高山植物の中では初夏に咲く花だと思っていましたが、わずかに咲いていました。
9月ということもあり、花の数はあまり見かけられませんでした。
夏季は高山植物が咲き乱れる場所のようです。
徐々にガスが晴れて、剱岳の輪郭がハッキリしてきました。
剣山荘に到着。
手前には池があり、逆さ剣山荘。価値のない逆さモノです。
入り口はプレハブ小屋のそれですが、中は綺麗なフローリングでした。
剱岳の登山には必要と言われているヘルメット。
購入するための時間の確保が出来なかったため、剣山荘はヘルメットのレンタル(500円/日)をあてにしていたのですが、すべて出払っているということで借りることができませんでした。
牛すじ煮込みが名物らしく、これは下山後が楽しみ。
「まぁ~て、まぁ~て、どもならんがぁ~」と書かれていましたが、富山弁なんでしょうか。
剱岳登山道の入り口は小屋の裏手にあります。
こちらの登山道は別山尾根(べっさんおね)と呼ばれており、剱岳のもっとも登られているルートです。
昨日からずっと岩の上を歩いているので、土の道が恋しくなる。
しかし、岩属性の剱岳は土の要素は入り口から既に皆無です。
登山道の脇にはチラホラ高山植物の花が咲いているのが癒しです。
さっそく鎖場が登場。
序盤の鎖はあまり必要のない代物でした。
振り返ると寒さに震えながら宿泊した剣沢キャンプ場と別山の全貌が見えてきました。
剱岳の上空には依然雲がかかっているものの、地上と雲の中間地点にいる自分たちからは景色を垣間見ることができます。
剱岳より西側に富山湾が見えました。
湾に沿ってずっと奥まで目を凝らすと能登半島(のとはんとう)が見えていました。
山から海が見えるだけで、特別気分が高揚します。
富山県は山の上にしか縁がなく、未だに街を観光したことがありません。
一服劔より正面に立ちはだかる前劔。
剱岳本体は、前劔のさらに奥に控えています。
一筋縄にいかない剱岳、2番目の鎖場が登場です。
別山尾根には登りと下り合わせて13の鎖場が登場します。すべてにプレートが設置されていました。ちなみに、1番目を見つけられませんでした…。
13という数字が「13階段」を連想させて、印象が悪いのは気のせいか。
自分が歩いている姿を見ると縮みあがる光景です。
自分が親なら「こんな危険な山絶対登るの止めなさい」と言い聞かせるな…。
一服劔から前劔への稜線は比較的危なげもない緩やかな道。
登る時間を遅くしたため、後続は少なく、ゆっくり歩けたのは幸いでした。
トリカブトはこれでもかってくらい群生しています。
下山してきた人達とすれ違います。7割以上の人がヘルメットかぶってました。
前劔への急斜面。
浮いている石が多いため、落石に注意するポイントです。
中腹から連続して鎖場が登場します。
垂直にたれている鎖。
別山尾根は登山者と下山者でルートが違うので、登山者の滞留が緩和されています。
この人なんで剱岳に登りに来たんだろうと思う、恐怖で足が進んでいない人が渋滞を発生させています。
ガスったり、晴れたりの繰り返し。
剱岳は思い立って来れるような場所ではないので、晴れてほしいのですが。
前劔直下で修行者とすれ違う。
格闘ゲームのキャラクターにいそうな風体をしていました。念仏で大ダメージを与えてくる強キャラだ。
10時15分 前劔頂上
標高2813mの前劔に到着です。
剱岳山頂に向けての稜線。
何も見えませんけど。
見えたり見えなかったりの繰り返し。
奥に剱岳の山頂らしき黒いシルエットが見えており、まだまだ遠くに感じます。
前劔より難所がはじまります。
5番目鎖場の存在は恐怖そのものでした。
断崖絶壁を横切るようにして鎖が設置されています。
「ひぃ!!」
そして、目線を下にやると30m下に斜面があります。足を踏み外したら、確実に無事では済まないでしょう。
一般登山者が行ける最も難易度が高い山というのがうなずける登山道です。
足を置く場所はしっかりあります。
最後の足場に乗り上げる場所に少し「あれ?」と躊躇する場所がありました。
難所をクリアし、さらに奥を目指します。
登山ブランドのグローブって本当に必要なんだろうかと思うくらいにいぼ付きの軍手が大活躍。
鎖場を登る点において、軍手は最高の相棒です。
難所が多いため、標高差、水平距離はそんなにないはずなのに時間がかかります。
登り返しの多さに辟易。
目線は雲と同じ位置にあり、鳥の目線を体感。
学生と思われる テンションの高い連中が写真を撮っていました。
カメラマンが離れて撮影する、絶壁感のある岩の上に立つなど普段自分たちがやっているスタイルをしていて、微笑ましく思う。
剱岳の核心部にやってきました。
下山者が切り立った崖の上の道を蟻の様相で列を作り歩いています。
7番目鎖場「平蔵の頭」。
こちらは崖に埋め込まれた鉄杭を便りによじ登ります。
こちらも転落すればあの世へ超特急です。
ゴジラの背中のような稜線。
実際にこの名前は穂高岳に存在するらしいです。
道中まで多少の樹木はありましたが、姿を消して完全に岩石だけのエリアに入りました。
やってきました、剱岳の最難関ポイント「カニノタテバイ」です。
長さ20m以上はある垂直な鎖場を登ります。直下から見上げると「え?これ登るのか…」と唖然としました。
先行者が取りつき点にいる自分と同一線上から外れたことを確認して登り始めます。
シーズン中の連休ともなると渋滞ができる場所らしいです。これほど危険な山に渋滞が発生するほどの登山者が来るとはまったくクレイジーな話です。
垂直に見えていても足場はしっかりと広く、難所と感じる場所には鉄杭が設置されています。
見た目以上に安心感がありました。
岩だらけなので写真では伝わりませんが、落差ある鎖場なので高度感は凄まじいです。
カニノタテバイを登り切ると雲が下がり始めました。
ぶどう狩りをしに来た人としか思えないビジュアルで、最難所を登るSaku氏。
もしここに山雑誌の取材いて写真に映りこんでいたら、フォトショップで修正されてしまいそうです。
カニノタテバイを登り終えると、これが本当の最後の登りです。
剱岳の存在を知ったのはもう3年も4年も前の話。
雑誌やテレビの中でしか見ることができない景色だと思っていた山頂にあと少しというのはどうにも気分が高ぶります。
山頂まであとちょっと。
山頂を認識してからの一歩一歩は、長い登山時間の中で一番心躍る時間です。
そして、遂に剱岳の山頂です。
国内最高峰の危険度、標高2999mの剱岳の山頂
11時52分 剱岳山頂
キャンプ場を出発して3時間40分でした。
剱岳の存在を知ってから、また剱岳の計画を立ててからの長い時間を考慮すると、それに対する感慨は計り知れないものがあります。
剱岳の山頂はそこそこに広く、多くの登山者が休憩していました。
もっとガチガチに装備をして登る人ばかりかと思っていましたが、ラフな格好の人も多かった。
剱岳は標高2999mという標高3000mに一歩足りない残念な標高です。
しかし、その際どい尖がり具合が剱岳の魅力的な要素をプラスしているに違いない。
剱岳は絶対登頂しなければいけない山でしたから、待った甲斐があったってもんです。
雨が降っていたら、登れない難易度ですし。
剱岳の山頂だけがすっぽりと晴れていて、遠くまでの眺望はありませんでした。
次は「試練と憧れ」の早月尾根を登って山頂に立ちたいです。
最後に記念撮影をパチリ。
やれることもやったので、剱岳の下山を開始します。
下山もまた危険地帯が連発するのが剱岳。
登山時の「カニノタテバイ」、そして下山時の「カニノヨコバイ」です。
90度の曲がり角の先に水平の断崖絶壁があります。
最初の一歩で、足場を探すのに難儀します。岩の切れ目に足を入れて、水平に移動します。
まさに姿は蟹です。ああ、松葉ガニ食べたい。
カニノヨコバイを通過すると垂直の梯子。
残雪気に登る気には全くなれませんね…。
不思議なところにトイレが設置されていました。
中は見る気になれなかったけど、どうやって回収しているんだろう。
アップダウンが激しく、下山している気分になれません。
最後の鎖場は前劔の門。
登山中に登山者が蟻のように張り付いていた場所です。
再び山頂はガスに巻かれて、見えなくなってしまいました。
そして、長い岩の昇り降りに自分の膝が痛み始めて、歩くペースが大きくがた落ちしました。
14時25分 剣山荘
下山後の炭酸飲料は砂漠にわいたオアシスです。
ぎゅ、牛すじがとろけてなくなる!!!
山小屋の食事でしょと思っていたけど、この「牛すじ煮込み」の味は今まで食べたものより断然美味しかった。山補正なしに。
軽食も終え、キャンプ場に戻ります。
キャンプ場に戻ってから、雷鳥沢キャンプ場に移動し、翌日は奥大日岳に登るという計画がありました。
しかし、この時に道迷いをしたのと自分の膝が限界を迎えたので剣沢キャンプ場に連続ステイが決定。
キャンプ場に戻り、休憩をしていると剱岳を隠していた雲が取れました。
こんな素晴らしいロケーションのテント場だったとは。
前日に調理する予定だった、宮崎地鶏のバックを温めて食べました。
コリコリしてうまい。
夕方になると再び雲隠れしてしまった剱岳。
7時過ぎになると雲は再びなくなり剱岳の姿がばっちり見えました。
満月の夜だったので、別山の方角から月が昇ってくると肉眼でも遠くの剱岳がくっきり見えました。
昨晩の暴風が嘘のようで、テントの周りをちょっとの厚着で散策できました。
月明かりに照らされた北アルプスは別の惑星みたいです。
というわけで、剱岳登山後の夜は楽しく終了したのでした。
真っ赤に燃える朝焼けの剱岳、雷鳥沢へと降りる
以下は、3日目の下山する内容になります。
未明にキャンプ場を出発し、剣御前小舎(つるぎごぜんしょうしゃ)に登ってきました。
目的は日の出です。
東の空が明るくなり始めました。
剱岳の奥に見える山脈は白馬岳、五竜岳をはじめとする後立山連峰です。
5時15分。
空の色はますます朱の色を強め、雲が染められていきます。
が、肝心の日の出が別山(べっさん)に邪魔されて見えない!
誤算も誤算です。初日に引き続き、立山三山の一角である別山はまた我々の前に立ちはだかるのか。
しかし、太陽の光を浴びで朱に染まる剱岳は、表現力不足の自分の文章では伝えることができない荘厳さがありました。
太陽が昇るにつれて、岩の輪郭一つ一つが明確に現れています。
剱岳が独立して浮き彫りになり、1瞬1秒の間隔で変化する山容は、現実とはかけ離れ、映画やアニメーションのようにも思えます。
風も強く平日ということもあり、アリーナ(剣御前)から剱岳オンステージを鑑賞しているのは我々以外に3~4人ほどでした。
後立山連峰の奥には妙高山などの頚城山塊(くびきさんかい)。
北アルプスの盟主である槍ヶ岳も見えます。
白山連峰も孤高にそびえています。
さて、下山開始です。
かつて、剱岳が日本最後の秘境とは思えないくらいに室堂から剱岳は意外と近く感じます。自分はやろうとは思わないけれど、室堂に前日入りして、空身で剱岳日帰りなんてことをする人いるんじゃなかろうか。
ここにきて、Saku氏のカメラに不具合が発生し、撮影できなくなる状況になってました。
旅の最後で良かったのでは。
ハクサンイチゲかな?
こんな時期にも咲いているんですね。
湿度が高かったこともあり、自分の体から発生される臭いに生理的な嫌悪感がありました。
自分の体が自分の体でありたくないような煩わしい感覚。自分は長期的な縦走に向いてない人間なんだな。
剣御前の峠を降り、そこから見える雄大な立山連峰は穏やかに迎えてくれました。
沢が流れていて、橋が架かっていました。
立山連峰から流れる水はやがて日本海にたどり着き、新鮮な魚介の宝庫である富山湾に流れ着きます。どのくらいの時間をかけて、海にたどり着くんだろうと疑問に思ったり。
雷鳥沢キャンプ場に到着。
広々と整地され、水場、ベンチ、管理棟至れり尽くせりのキャンプ場でした。
のんびりご飯を作りながら、泊まってみたいです。
キャンプ場についたら、室堂までは楽勝。
そう思っていた時期が我々にはありました。雷鳥沢キャンプ場は低い位置にあるため、室堂までは急な階段の登り返しです。勘弁してください。
地獄谷は火山ガスが噴き出している場所でした。
遊歩道がありましたが、立ち入り禁止でした。
石畳の道が2泊3日歩いた我々に深刻なダメージを与えてくる。
室堂がこんなにも険しい道だったとは。
8時45分 みくりが池温泉
待ちに待った温泉に到着。
温泉の手前に遠足できている小学生が騒いでいます。何を騒いでるんだろうとザックを置いて見に行ってみると。
雷鳥(ライチョウ)がいました。
雷鳥沢でしっかり雷鳥を抑える、出会いに感謝(笑)
みくりが池に映りこむ立山。逆さ立山もしっかり抑える。
というわけで、みくりが池アクティビティを堪能した我々は温泉へ。
少しお腹が空いていたので、軽食コーナーで名物ピザを注文しました。
同時にブルーベリージュースには氷が入っていました。
全ての山荘がこうであればよいのに…。
とろりと溶けたチーズとさくさくの生地がたいへんおいしゅうございました。
ここにも「日本秘湯を守る会」の提灯が。
みくりが池温泉は、「標高2410m、日本一高所にある天然温泉」という触れ込みです。我々は「日本一」とか「日本三大」と言ったコピーに非常に弱い人間なので、入らないという選択肢はありません。
雲上の温泉というのれんをくぐると温泉です。
2泊3日の汚い体を洗い入湯したとき、口からエクトプラズムが飛び出るんじゃないかという気持ちよさがありました。
湯温違いの内風呂が二つあり、硫黄のにおいが漂う清潔なお風呂でした。山の上にありながら、洗い場があり、シャンプーとボディソープが置かれています。ドライヤーはなかったけど、下山後に温泉に寄るのにスルーするのはもったいないお風呂です。ガラス張りの窓からは富山湾も眺められます。
雷鳥沢キャンプ場でしみったれたキャンプするより山荘に泊まりたいという結論を出すも、その願いは今後の地上で躍進があればという話。
みくりが池山荘から室堂までは徒歩12分ほどです。
2日前の写真と同じ場所で撮影。
これからの旅に胸を輝やかせていた僕達の面影はまるでなく、ザックを自分の力で支えられなくなっています。
10時31分 室堂駅
これから登る人、これから帰る人、観光客で賑わっていました。
ローカル牛乳ハンターとして、日本海牛乳を飲みます。
普通は牧場の名前、高原の名前をつけるものですが、日本海と名付けるのは富山らしさか。
さて、これから扇沢までの長い旅が始まります。
トロリーバス、ロープウェイ、ケーブルカーを乗り継ぎ、1時間かけて黒部ダム。
美味しい湧き水でリフレッシュ。レストハウスで売っていた黒部ダムカレーがいました。
塹壕に潜むベトコンという小ネタを挟む。
最後はトロリーバス。
大体のレポートでは、はしょられる下山ですが、そこには1時間半の過酷な移動があることを忘れずに。
12時19分 扇沢
構想10か月の夏の旅が終わった…。
駐車場に忘れられていた麦わら帽子はまだそこにあり続けていました。
火照りの取れない夏の肌のように。
扇沢から信濃大町駅に移動し、昼食にしました。
信濃大町駅にカロリーをとれる店屋がこの「豚のさんぽ」です(※閉店)
メニューは二郎系ラーメンと黒部ダムカレーがメイン。
気の迷いか普通のラーメンを注文してしまった。黒部ダムカレーを食べればよかったのに。謎だ。
平日ということもあり、中央道はすいすい流れ、東京に戻ってきたのは夕方でした。
短く長い2泊3日の縦走が終わったのです。
剱岳の登山を終えて
未踏峰だと思われていた剱岳に陸軍測量隊が登頂成功し、遥か昔の修行僧が残した錫杖が発見されたという事実。
映画化もされたこの日本の歴史上のどんでん返しに非常にロマンを感じます。
長い長い旅の果てに登った剱岳に一つの区切りを感じました。
剱岳は人を寄せ付けない威圧的な山容を持ちながら芸術的に均整の取れた美しい山です。たくさんの鎖場とアップダウンが待ち構えていますが、最後の地図に載った場所を体験してみてはいかがでしょう。
次回は別のルートから、見れなかった景色を見に行こうと思います。
コメント
いつにもまして、熱い想いを感じました!それだけ思い入れのある山旅だったんですね。次回も楽しみにしてます!
>こうさん
ブログ見ていただきありがとうございます!
次回もどんどん書いていきたいと思います!
剱の記事待ちわびてました。
やっぱり素敵ですね。今年訪れなければならない場所の筆頭にしたいと思います。
「(う)まぁ~て、(う)まぁ~て、どもならんがぁ~」
これは富山弁です。うまくてうまくて仕方がない、って意味です。滑舌悪目にいうとグッドです。
>茶人さん
自分も剱岳は展望が楽しむために季節を変えて行きたいです。
中途半端だったこともあり。
やはり富山弁だったのですか。
立山室堂で働いている若い人たちは訛ってませんでしたが、年配の山小屋主人ともなると強かったですね。
待ってました、やっと剣岳登頂ですね。おめでとうございます。急峻な山を登りながらもたくさんの、カッコいい写真を写されたんですね。ぶどう狩りの坊やもちゃんと登場してるし(笑)
今年もたくさんの山を登って、楽しませて下さい。
>やま子さん
コメントありがとうございます!
次行くときは動画も撮りつつ、剱岳の全容を紹介したいです。
今年はそろそろ広島の弥山にでかけますか。
是非とも広島へ!!
弥山はあまり標高はないけどぐるりと見渡せます。
そして、鹿と戯れて、広島のお好み焼き食べて、次の日は尾道。尾道ラーメン食べて、猫と遊ぶ(*^^*) うん、完璧だ!
>やま子さん
㋂もしくは4月の暖かくなる時期に行きたいです。
広島グルメを堪能して、尾道また倉敷なんかも楽しみたいです。
道後山なんかも登りたいですけど、遠いんですよね~。
読んでて熱くなりました.
自分は去年登山を始めたばかりの1年生です.
いつの日か自分も劔を登ってみたいです.
「どもならん」は岐阜の飛騨地方でも使われていましたよ
>RYOさん
コメントありがとうございます。
剱岳は難所が続きますが、足場自体はしっかりしているので、高所恐怖症でもない限りは登ることができます。
難易度的には妙義山や八海山のほうが高いです。
岐阜の訛りでもあるのですか…。
90分のN○Kスペシャルを見終わった位のぎっしり感でした。剱岳、本当に凄い
です。リアル、ゴジラみたい。S氏のショルダーバッグ?が斬新でした◎
今年は、何とか一度北アルプスに行く予定ですが、最近ずっと室堂に焦がれて
いるので、ブルーさんの写真を何枚もスクショしてしまいました。
来年、行けたらなー。富山側からが良さそうですね。何せ九州からなので
2泊3日はかかりますね。室堂に1泊してウロウロでも胸いっぱいになれそう
素敵なブログに感謝、です(^ ^)
さくらのさん
コメントありがとうございます。
剱岳は登山行程をころころ変えたせいで、ドラマチックな旅になりました。
ギザギザな尾根でしたが、意外と足場は安定して、登り切ることが出来ましたよ。それこそぶどう狩りの格好の人も。
室堂は観光地で、立山の山頂へも1時間半程度で登ることが出来ます。九州からは大旅行になるかと思いますが、是非行ってみて下さい。
最近集め始めた観光スタンプと御朱印を目的にまた行くことがあるかもしれません。
またのコメントお待ちしております。